《回天体》2018.03. ビデオインスタレーション 拝島の河原・個展 テレビモニター、鏡、アクリル球、ステンレス球、テグス
拝島の河原で1週間の会期で行なった個展である。 ビデオインスタレーションにおける「ロケ地」と「展示空間」を同一の場所にするという試みをした。それに伴い、 あらかじめ存在するこの空間自体を作品化するということを行なった。それはある種、この土地にまつわる「詩」 を見い出すようなことであった。 自然界の対称性とフラクタルについての考察から、パフォーマーにパフォーマンスを指示し映像を制作。それを河 原に発電機とテレビを複数設置し流した。鑑賞者は木の周りを円状にまわるよう導線を作った。 例えば木は点対称に広がり枝をつけ、大地を境に根と樹木で対象を描いている。これはフラクタル式に有機物が拡 張していく規則がある限り変わらない。地球が球体なのも銀河系の磁場も対称である。 この展示ではパフォーマーの回転・球体・映像媒体(DVD)の回転・鑑賞者の回転・鏡などによる風景の回転で円 を描く。パフォーマーの回転という小さな円が映像の中に描かれ、鑑賞者がいる空間にもう少し大きな円が描かれ る。それが展示空間の空の向こうの円にまで想像力を拡げていく。 (記録撮影 協力:井波吉太郎様、金子遊様、INNY様、taxxaka様、クマリネ様)
《(試作)身体をもった映像 》(銀座大晦日!)
ビデオインスタレーション(ブラウン管テレビ、農ポリ、プロジェクション)今回の作品は過去に制作した立体作品を撮影したものをブラウン管テレビモニターに映し出し、テレビという構造体に再度構成しています。さらに背後の空間に同じ映像を元にした違うタイムラインの動画を投射して空間を映像にしています。
ビデオは再現のメディアではない。
立体として完成している作品を撮影する時、その構造は一度無効になり映像の中で立体の構造は宙ぶらりんになった。映像はただ撮影する私がどう動いたかの記録になり、それは楽器の演奏に近いことだったように思う。(私の)身体の動きという、立体のもつ空間の形とは別の理で動く映像になった。
そこからさらに空間に構築された映像は、別々の動画と動画が、放たれた空間で演奏されて、上映の〈ライブ〉において撮影された時の〈ライブ〉とは全く別の理で動き出す。テレビの中のコンテンツと上映時のオブジェクトとしての映像は別の理に巻き込まれていく小宇宙・ズレていく天球のようなもの。
ビデオは2次元世界のコンテンツではなく、立体的な世界に現れた時には新たな理を帯びる生きたメディアである。
《此処から出て》2017
ビデオインスタレーション(2:06)
shintora art complex 2017.10.
《猫》2016
毛糸、風船など
《the cosmos: brilliant ache》2016
刺繍糸、ビニール、アルミなど
《pure skin》2016
フォトショップにて作成
エロさとは、シルエットや身体の浮き出たり隠したり影を落としたりしてできる線に宿るのだと思う。私はこれで性的な視線の及ばない純粋な身体を提案する。この、内に閉じこもるものと外に露出するものの混ざり合う形態は、これまでの身体とは異なるが、ただの皮膚になってもまだ色気があるとしたらそれが純粋な身体の魅力かもしれない。
個展
《make my blood and flesh》2016 油絵の具で着彩
私の血となり肉となれ(あなたの価値や過去に関わらず)